食と住に深く関わる企業であるクリナップは、現代における“食の大切さや役割”を、皆さまと共に見つめ直すことが大切だと考え、生活研究部門である「おいしい暮らし研究所」が中心となり、聖徳大学様、武庫川女子大学様のご協力のもと「キッチンから笑顔をつくる料理アカデミー」を企画、提供してまいりました。
ここでは、多彩な講師の方からいただいた貴重なご講義や実習の内容をお届けします。
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<食の役割>講義編 講師:室田 洋子(元聖徳大学教授) 人格心理学、臨床心理学担当。臨床心理士。 全国保育士会、全国保育協議会等で、保育の中の食育の指導委員。 (平成24年3月 講座実施時) |
私は臨床心理学や人格心理学を教えております。臨床心理士でもあります。大学の授業を進めるのと並行して教育相談室も行っております。その中で、さまざまなことで生きていくことが大変になってしまった子どもや、本来なら勉強やスポーツに夢中になっているはずの中高生たちと出会います。元々その子たちは頭もよく、あることに優れていたり、足が速かったり、ピアノが大変上手であったり、遊ぶことが大好きだったり、食べることが大好きだったりしたのですが、あるときポコーンと落ちた状態になってしまって、それからどんどん苦しい状態を経験するようになります。
臨床心理学は、それを引き上げて、もともと持っていた状態まで復活させるということを心理学的にサポートする学問です。学問なので、昔からの研究者の理論を学生に教えたりもしますが、理屈だけではなくて、ひとりの人をもう1回復活させることができなかったら、いくら知識を持っていても意味がないと随分昔から考えており、20年以上にわたって公立の教育研究所と大学を行き来してきました。つまり地域に密着しながら、たくさんの家族、たくさんの子どもたちと接するということをしてきたわけです。
私はそのような仕事を通じて、さまざまなケースに向き合ううちに、心を正したり、心を豊かにしたり、心が楽になったり、そして何か新鮮な、新しい活動に向かっていくときには、食卓の状況が根っこになっていたのだということをつくづく感じるようになりました。そこで食卓から見た心育て、食卓から見た臨床心理学、食卓から見た家族関係論、というふうに見ていくと、いずれもピタっとはまるのですね。栄養学の勉強とは全く違うのですが、食卓状況は人間関係にもつながるということだったのです。
それも栄養学の問題ではなく、「ちょっと味見をしてみる?」とか、ただものを分け合うような何でもないことから、“心を育てる食卓”が生まれます。「味見してみる?」と言われたとき、「味見をするという近い関係に私を選んでくれたの?」と心が動き、「ちょっと笑い話をするわ」といったような心のゆとりが生まれ、人間関係が近くなります。同じ味のものを「試しませんか?」と言ったときになんとなく心がつながる体験。こういうことを具体的に経験することが、とても大事なのです。そして「おいしいね」と言葉が返ってきたときに、つながるのです。人とのつながりがぐんと濃くなります。
私の相談室活動の中でよく出会うのですが、全部で5,000 円もするくらいのたくさんの食べ物を囲って、兄弟にも親にもひと欠片も渡さないで自分の部屋でガツガツ食べてしまう、いわゆる過食症の人。とにかくひとりだけで貪って食べています。“少しあげる”という気持ちにはならないんですね。彼らは何を食べているのでしょう? 心が虚しいから、心の飢えを食で満たそうとしているのです。食べても食べても、底なしのように食べ物を詰め込んでも、心が満たされないのですね。食らいつくように食べます。
そして、たくさん食べたあとに、今度は、ふと気がつくと、「これだけ食べて詰め込んだらメタボになる。人から『美しくない、格好悪い』と思われるに違いない」という恐怖が生まれてきます。恐怖が生まれてくると、先ほどガツガツ食べた食物が毒物みたいに思えてきます。そして下剤をいっぱい飲んで、胃袋の中身を全部出しきるまでトイレにこもってしまうんです。道を歩いていても、こういう人とすれ違うと一瞬で分かります。皮膚につやが無く、髪の毛がパサパサになるんです。どんなにどんなに貪っても、心の飢えは治ることはありません。
そんな彼らを大きく変えていく力になるのは、“半分こしよう”という、単純なことなんです。「ちょっと貰える?」と言うことのできる人間関係なんです。「あなたのために1個だけとっておいたのよ」「覚えていてくれたの?」これだけで心がフワっと温かくなったりするんです。食というのは心と心をつなぐ媒介物として、ものすごい力を持っているんです。欠けたりしてきれいなものがほとんどないようなクッキーでも、「もっと持ってきてよ」と言われたときにふっと温かくなりますよね。上等なクッキーでなくても十分に人と人をつなげるし、温めるし、心が沈んでいる人を回復させる力を持っているんです。
今、日本は非常に豊かになっています。不況とはいえ、大抵のものが手に入ります。でも「あなたのためにこれを持ってきたよ」というような機会がとっても減ってしまっているのではないでしょうか。これが心の不適応の問題(何か虚しい、生きている力を損なう)に影響を及ぼしているのだと思います。もしかしたら、みなさんも思っているのではないでしょうか。これは家族もそうですし、仲間関係や地域社会もそうであると考えています。でもやはり、家族の問題が大きいでしょうね。今は家族の人数も減ってきてしまっていますから。
昔は7、8人の家族も普通にあったわけですね。兄弟だって5、6人くらいはいて、祖父母も一緒、場合によってはまだ結婚していない叔父・叔母もいる大家族の中で、ひとつ屋根の下で暮らしていて、いろいろな関わりがあちこちで生まれ、たくさんの会話がありました。大きい家族というのは、もちろんこわい姑さんがいて厳しかったかもしれませんが、ひとつのまとまりがあったと思います。気遣いもありました。譲り合うということもありました。分け合うこともありました。今、それが分解しました。個々の核家族になり、あるいは単身になり…。とても楽ですね。どの時間まで寝ていてもいいし、何を食べてもいいし、どのように過ごしても誰にも叱られません。でも、人が思ってくれる、人が気にかけてくれるような機会は、放っておくと減ってしまうという問題が出てきています。確実にそれは進行しています。その中で食を1人で済ませるという事態も増えているわけです。
そんなにお金がなくても、ちょっと珍しいものがあると聞いたら、そこへ行くことができます。いろいろなものを食べることができます。豊かな世の中です。しかし私から見ると、豊かそうでありながら「何でしょう、この添加物だらけのもの」と思うのです。「これは、見かけは豊かだけれども本物ではないな」と思います。本物というのは、育てられるところから、調理するところから、ちゃんと心が込められているもの。そこにこそ、本物の豊かさがあると思っています。
食事・食卓というのは、心理的な関係の場です。人間関係の質を示しています。人間関係を凝縮した場所が食卓です。栄養学的には立派な食べものでも、心が硬くなっているときには味気なくなりますね。栄養学的にはちょっとささやかすぎる食べ物でも、何かとても嬉しくなるようなものもあります。
栄養学・調理技術から見た“食”と、心理学の立場から見た“食”では、ちょっと角度が違ってくるということです。でも、おいしいものがいいです。美しいものがいいです。おいしいものに悪いものはないですよね。栄養のバランスがとれたものがいいに決まっています。
けれども、そこに人間の要素が絡んでくると、基本的にいいものが悪くなったり、手の込んでいるものにがっかりするようなことになったり、こういうことが起きてくるというのを覚えていただきたいと思います。これは気の持ちよう、気のせいということではないのです。
ある子どもさんの例です。4歳のぼうやで、すごく食べるのが嫌いで食べるのも遅い。「これもイヤ、あれもイヤ」、新しいものは見ただけで食べない。落ち着かないし、ちょっと食べたら飽きてしまうということで体もひょろひょろ。なんとかしようと思ったお母さんは、子ども向けの懐石料理風に、きれいに盛りつけて一生懸命、丁寧に食事をつくりました。
ところが、お母さんが一生懸命かつら剥きをしていると、子どもが「ママっ!」って呼びかけるので失敗してしまう。盛りつけをしていると、「ママー」とごねてくるので崩れてしまう。こういうことをされると最後のところで整わないから、「料理しているときは来ないで」と彼女は言ったんです。子どもも最初は「分かった」と言います。けれども子どもですから、しばらくすると、また「ママー」と来るんですね。子どもは約束事なんてすぐ忘れてしまいますから、そんなことが何度も繰り返されました。当然、お母さんの口調もきつくなっていきます。
そのうちに、なんとかお料理はとても上手に仕上がりました。ところが、子どもが目をパチパチさせ始めたのです。 緊張したときに現れる“チック”です。それを知らないお母さんは心配になって目医者に連れて行きました。すると目医者さんは笑いながら、「これは病気ではないですよ。薬はいらないから、ちょっと怒らないで少し楽にしてあげて。そうすればパチパチは治りますから」と言って、お薬も出しませんでした。ところがお母さんは「病気ではない」というところだけ受け取ってしまい、子どもが目をパチパチさせる度に「チック! 目をパチパチしちゃダメ!」って怒りました。すると「チック、チック!」と繰り返されるうちに余計に止まらなくなりました。そのうち遊ばなくなって、泣きやすくなって、ご飯も食べず、ずっと引き込もるようになったのです。
それで紹介を受けて私のところに来ました。相談にいらしたとき、すぐにチックだと分かりました。結果から言うと、この子は1ヵ月半くらいで治りました。どうしたのか。「チック!って怒らないでね」「凝った料理やおやつをお子さんが幼稚園に行っている間につくるのはいいけど、子どもがいるときにそれをやっちゃダメ」と伝え、お子さんとキッチンで一緒につくるように言いました。4歳ですから、随分、指先は発達しています。はさみで切り取ることもできますし、折り紙を折るだけの力もあります。これができたら、お料理でもできることが随分あるんです。
「マッシュポテトを潰してもらったり、小さい包丁を買ってキュウリを切ってもらったり、混ぜてもらったり。そうすると破片が床に落ちますが、それは後でお母さんが雑巾がけすればいい。何をするにも“助かった”、“役に立つ”を連発してみてください。綺麗にいちょう切りができなくても構わないから、お口に入ったときに“おいしいね”って言ってくださる?」とお願いしました。「子どもはまだ背が低いから台がいるわね。それなら台も一緒につくってみてください。牛乳パックあるでしょ? 4つ集まったらガムテープで巻けばいいのよ。かなり頑丈よ」と。
これを2ヵ月半続けたのですが、最初の1ヵ月でチックは治って、そのうちに自分で切った大根を口にするようになり、自分でつくったカレーは食べるようになったんです。「食べなさい、食べなさい」って、口を酸っぱくして言っても抵抗を示していたのが、自分が切った、自分が潰した、自分が混ぜた食べ物は特別な食べ物に見えたようで、今まで食べようとしなかったサラダも食べるようになったんです。目のことは何も言っていません。全部“食”のことです。“役に立つ”、“助かる”って言っていただけです。そうしたらチックもなくなっていったんですね。「だってママの相棒だもん。ママ、僕がいないと困るでしょ?」となるんです。心と力が復活してくるんですね。
“役に立つ”、“助かる”という言葉は、小さな子どもは大好きです。流しでもジャージャー水を流しながら洗います。水と土は子どもにとっては最高の遊具です。それを本物でやれるんですからね。手先を使うこと、細かいことも好きなので、トマトの湯むきも面白くてやりたがるんです。これは勉強ではないんです。一生懸命、夢中になってやる姿は美しいですよね。4歳や5歳はできるんです。3歳、2歳だと難しいですが、2歳の子でもできることはあります。お好み焼きをつくるときキャベツを引き裂いてもらう。包丁を使うのではなくて、引き裂いてもらうんです。「上手ね」って言いながらやってもらうと、どんどん引き裂いてくれます。新聞を引き裂いたり、ふすまを引き裂いたり、これがすごく面白いんですね。「もっと小さく破いて」って言われると、その度に小さくしてくれる。そして、指先を使うことが面白いと思うようになるのです。
発達心理学の面から見ると、機能が一番発達するときに、子どもは遊びでその機能を使い始めるということがあるのです。そして、どんどん変わっていくんです。5歳の子に2歳の子がやるようなことを頼んだら、「え~、バカにしないでよ」ってなるんですね。ちゃんとそれぞれの発達の時期に必要な課題を与えることによって、得々として、夢中になって熱心に満足するまで続けます。その材料として、食材は豊富な中身を持っていると私は思います。
この件で、私はお母さんに「お子さんに“役に立つ”とか“助かる”、こういう言葉をかけてね」と言いました。これは、いわゆる“自己肯定感”とか“自己有能感”とかにつながっていくんです。「俺もなかなかやるなぁ」とか、「私ってできる人よ」という、この感じですね。それを幼い子にもそれぞれのチャンスを与え続けていくことで、人格がつくられていく。私はかけがえのない人間である、私は人の役に立てる人間だという感覚を持ちます。
字を書いたり読んだりする前に、“なんだかできそう”という感覚、これは大事なことです。これを具体的にできることがお食事なのだと、私は思っています。放っておいても、子どもたちは公園のお庭で何かを拾ったり集めたりしながら、「ママゴト」をしていますね。これを「ホンゴト」にするのが調理。本物を使わせてもらうだけで、信用されているという感覚を得ます。大人のような一人前の体験に、こんなに幼い子を加えてもらえたんだということで、これは大きな力になります。
もうひとつの例を紹介しましょう。ずっと料理をされてきた方がご高齢になって、覚えが悪くなって言葉もうまく伝わらなくなってしまいました。そういう認知症の状態のおばあちゃんなのですが、昔は料理が上手かったという方がいたんです。この方はきんぴらゴボウがすごく上手で、それに関してはすごい腕を持っていたんです。それでこの方に、「きんぴらをつくってください」って言ったら、キリリーッと変わって、認知症とは思えないほど、とても見事なきんぴらをつくってくださいました。長いこと自分で料理して、工夫して考えてきたことをやったときに、昔の自分が戻ってくるんですね。
心と食を結びつけてゆくと、こんな現象に出会うわけなんです。食をつくるということは人間を人間にするといいますか、元に戻す力を持っていると私は考えます。だから小さい子だけの問題じゃなくて、90歳近くになった人にとっても、人間再生のための大きな材料、媒介物として食はあると思うのです。食は媒介物だと思うんです。体と心をつなぐものだし、人と人をつなぐものだし、場面の中で人をつなぐんですね。そこで「つながり」が生まれたときに、「あー、よかった」とか、求めていたものが与えられて「助かった」とか思うわけですよね。頭で計算して口に入れるものというのは限られているんです。つなぐということは、大きな役割を持っているんです。
[つづく]
『食の役割-講義編② コミュニケーションを促進させる食卓~『心を育てる食卓』~』を読む>>
この記事は、平成24年に開講されたクリナップ寄付講座「キッチンから笑顔をつくる料理アカデミー」の内容をまとめたものです。